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Nov. 14 '08 & Mar. 30 '21 |
景徳院は最近ネットで見て詳しく知りました。甲州市の田野地区(旧大和村)は武田勝頼軍が1582年 (天正10年) 3月11日に日川渓谷沿いに天目山をめざしたが途中、織田・徳川軍との激戦になり破れ、一族郎党は自害し、500年続いた武田家が滅亡したところです。この年の7月、徳川家康が勝頼の死をとむらうため菩提寺として景徳院を建立、山門の近くに自刃した三箇の生害石があり、勝頼公(37歳)夫人(19歳) 信勝公(16歳)の墓が並びさらに、将兵や侍女合わせて50名の墓も境内にあります。
[追記] 桜の時期( Mar. 30 '21)に訪問した写真を追加しました。 |
景徳院・総門 山門へ |
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山門・・・往時の面影を忍ばせる
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山門から本堂方向を見る
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紅葉に包まれた本堂・・・天童山 景徳院
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桜舞う本堂・・・旗堅松が無くなっていました Mar. 30 '21
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鐘楼 本堂裏手の岩船地蔵 |
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本堂横裏から鐘楼方向(左手)を振り返る |
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戦士合祀之墓(左手)と右手に武田慕情歌碑 |
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武田信勝公の生害石 勝頼夫人の生害石 |
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武田勝頼公の生害石 |
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武田勝頼(中)、北条夫人(右)、信勝(左)の墓・・・手厚く葬られています |
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甲将殿・・・主従の位牌を祀る 没頭地蔵・・・勝頼、夫人、信勝を祀ったお地蔵様 |
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景徳院の案内板
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