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Nov. 14 '08 |
甲州市の田野地区(旧 大和村)は武田勝頼軍が1582年(天正10年)3月11日に日川渓谷沿いに天目山をめざしたが途中、織田・徳川軍との激戦になり破れ、一族郎党は自害し、500年続いた武田家が滅亡したところです。この年の7月、徳川家康が勝頼の死をとむらうため菩提寺として景徳院を建立、山門の近くに自刃した三箇の生害石があり、勝頼(37歳)夫人(19歳)信勝公(16歳)の墓が並びさらに、将兵や侍女合わせて50名の墓も境内にあります。紅葉が見頃の景徳院を1時間かけて散策しました。 |
景徳院山門方向・・・左手の古木は樹齢100年のソメイヨシノ
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景徳院山門
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山門から本堂を見る
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紅葉に包まれた本堂
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本堂横裏から鐘楼方向を振り返る
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鐘楼・・・右手に見える屋根は山門
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岩船地蔵にかぶさる紅葉
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甲将殿前の銀杏
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武田勝頼(中)、北条夫人(右)、信勝(左)の墓・・・後方の紅葉が輝く
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