Apr. 22~26 '05 |
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アンコール遺跡を見たい!と思い立ってすぐに希望のツアーが目に留まりました。このアンコール遺跡はカンボジア北西部のシェムリアップ地域にあり、9世紀から15世紀にかけて繁栄したアンコール王朝により築かれました。仏教、ヒンズー教の寺院を初めとする巨大な石造建築遺跡群で、これらの遺跡は15世紀にシャム軍によりアンコール王朝が駆逐されて以来長期にわたって密林に埋もれていました。今世紀の初めになってようやくフランス(極東学院)の手によりこの巨大遺跡の調査・研究と修復が始められたようです。しかし、二度の世界大戦とインドシナ戦争さらに、1974年以降のカンボジア内戦等に阻まれ本格的な修復・保存は出来ませんでした。特に、アンコール遺跡群の建造材料は砂岩が主体のため、 厳しい気候環境下での激しい劣化と樹木等の植物侵食も重なってかなり荒廃した状況にあります。現在、本格的な遺跡修復が日本を含め各国の協力で進められておりますが今後、更なる再調査や道路などの整備によってカンボジアが世界の観光スポットとなる日も近いことしょう。なお、カンボジアの通貨はリエルですが、一般にはUSドルも流通しています。さらに、シェムリアップの民家には電気・ガス・水道などが装備されてないため、すべての活動が日没までという環境にあるようです。そして、今回の観光は私たちを含め4名というミニツアーでしたので家族的な雰囲気で遺跡内を細かく見学し、納得の写真も沢山撮れて幸せでした。 |
バンテアイ・スレイ、プレ・ループ> アンコール・トム1(南大門、バイヨン) アンコール・トム2(バプーオン他)とタ・プロム プリア・カン、ニャック・ポアン、タ・ソムなど アンコールワット |
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カンボジア遺跡探訪はロリュオス遺跡群から始まりました。 ロリュオス遺跡群はシェムリアップの中心から約13キロほど国道6号線を東に行ったところにあります。アンコール地方に都が置かれる前の9世紀頃の遺跡でメール山(須弥山)を象徴したバコンを中心にプリア・コー、ロレイの3つの遺跡があります。 |
カンボジアで出会う最初の遺跡です。 プリア・コー遺跡はアンコール遺跡群のなかでも最古のヒンドゥー教寺院で、プリア・コーとは「聖なる牛」の意味があるそうです。この遺跡は879年、インドラヴァルマン1世が建てた寺院で、基壇の上には前に3基、後ろに3基と計6本の祀堂が非対称に建ち並び前列祀堂の痛みが最も激しく現在も修復中でした。 |
カンボジアらしい案内板 全壊に近い東塔門 |
中央祠堂にはジャヤヴァルマン二世が祭られている |
聖牛の向いている方にプリア・コー寺院の基壇がある |
聖牛ナンディン像・・・境内には3体ある プリア・コーの碑文 |
楯(まぐさ)の彫刻 |
彫刻がきれいに残る祠堂 金剛力士像と上部は漆喰彫刻 |
東南の正方形建物は経蔵に匹敵するもの・・・その内部の写真 |
バコンは881年にインドラヴァルマン1世が国家寺院として、5層の基壇の上にメール山を形取り砂岩の祠堂を設けたピラミッド型の大寺院です。ヒンドウー教の神々に奉献した威風堂々とした寺院に驚きの目で見つめました。 |
バコン入口参道 入口を守るナーガ像 |
バコン全景・・・アンコール遺跡群で最初のピラミッド型寺院 |
荘厳な風格のバコン寺院 |
中央祠堂の尖塔部 尖塔部に彫刻されたデバター |
基壇前の細長い建物 破風の隙間から中央祠堂の眺め |
煉瓦祠堂 シンハ像 |
ロレイはアンコールワットより約250年前の遺跡で、当時は大貯水池インドラタターカの中心に造られた人工小島に建立された。祠堂壁面には珍らしい金剛力士像も残りさらに、寺院境内には新しい仏教寺院が建てられていました。遺跡全体は保存状態が悪く崩れかけた部分もあります。 |
インドラヴァルマン一世が祀られている中央祠堂 |
力強い金剛力士像 穏やかな微笑を浮かべるデバター |
北西祠堂のまぐさ部分・・・ガルーダの口からナーガが出ている |
桶の交差点に配されたリンガ 風化の激しいロレイ祠堂 |
僧房・・・以前は沢山のお坊さんが住んでいた ジャックフルーツの木の下で |
ちょうど祭日の行事中 アイスキャンディー屋さんと子供たち |
一般民家の見学 |
シェムリアップから10km程の民家 近くで遊んでいた子供たちが寄ってきました |
お母さんと子供 室内には充電池の付いたテレビがポツンと・・・ |
今日のランチはクメール料理、お味は? モノリーチアンコールホテルに宿泊 |
ベトナム・ホーチミン市上空 タン・ソン・ニャット国際空港で乗換えを待つ |
バンテアイ・スレイ、プレ・ループ> アンコール・トム1(南大門、バイヨン) アンコール・トム2(バプーオン他)とタ・プロム プリア・カン、ニャック・ポアン、タ・ソムなど アンコールワット |