Apr. 10 '05 |
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松本城は信州松本平の中央に位置し前身を深志城といい、天正十八年(1590)豊臣秀吉が小田原城を滅ぼすと石川数正が十万石で入城しました。その後、息子の石川康長が文禄末から慶長の初めにかけて五層六階の天守を構築し親子2代にわたる築城でこの美しい城が完成しました。この国宝・松本城の天守はわが国最古の天守といわれています。 |
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入口付近に咲く桜 松本城マップ |
松本城大天守・・・五層六階の大天守を中心に乾小天守を渡櫓で連結 |
埋橋・・・右写真の埋門に至る橋 埋門跡 |
天守台石垣・・・野面積みで隅石は算木積み 乾小天守の屋根瓦 |
石落・・・石垣をよじ登る敵に石を投じた防御装置 月見櫓の地階入口の石垣と柱 |
天上部分の木組み 鉄砲狭間 からぶ懸魚・・・破風に取付 |
武者窓・・・堅格子を使用 建材・・・天保14年 長銃 |
當管式銃 短銃類 |
火縄銃と火薬加工の道具 古銭 |
瓦や硯 前掛け? 雑兵笠 |
華頭窓 急傾斜の階段 月見櫓の地階入口 |
松本城階上から眺める松本市街 |
清正公、駒つなぎの桜・・・ほぼ満開でした |
乾小天守が右側 天守群南西面・・・複合天守全景 |
本丸跡 太鼓門 |
黒門と土橋・・・本丸の大手口 黒門・・・内側にある櫓門 |
黒門付近から見た大天守そして、美しい石垣と内堀・・・辰巳附櫓と月見櫓が木の間に見える |
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高遠城趾公園のタカトオコヒガンザクラは桜の色の美しさと規模から『天下第一の桜』と称されています。県の天然記念物に指定されているコヒガンザクラはまだ咲き始めで、その美しさを満喫することはできませんでした。 この高遠(たかとお)城は武田氏が伊那侵攻の拠点とした城で、江戸時代に入って上伊那各地の城の大半は廃されたといいます。現在は石垣と空堀があるのみで、往時を偲ぶものは見当たりませんでした。 |
「日本三大桜の名所」と言われている高遠城址公園の案内板 |
桜雲橋と問屋門・・・写真撮影の定番スポットです |
桜雲橋 問屋門 |
本丸跡 太鼓櫓 |
藤原神社 天下第一の桜碑 |
本丸の空堀 タカトウコヒガンザクラは咲き始め |
無印の碑 靖国招魂碑 荻原井泉水の句碑 |
万延元年(1860年)高遠藩最後の藩主・内藤頼直が藩士養成のために開設した学問所で、後に林大学により「進徳館」と命名された信州を代表する藩校の一つです。現在、残されている進徳館の建物は国の史跡に指定されています。 |
進徳館表門 |
玄関 教室棟 |
生徒控室 師範、教授控室 |
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