Feb.24~29 '05 |
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中国は3回目の旅行。長い歴史と多くの景観を有する中国は見所一杯です。今度の旅行は秦始皇帝の兵馬俑坑と桂林観光を楽しみに参加しました。そして、西安から始まった観光は桂林、上海へとつづく6日間で、歴史的に重要な所や絶景ポイントを見逃してはならないとビデオや写真は十分に用意、胸ワクワクする思いでファインダーを覗きつづけました。 |
西安観光3(陜西歴史博物館、大雁塔 他)はこちら 西安観光3(碑林博物館、漢陽陵 他)はこちら 桂林観光1(榕湖遊覧、象鼻山)はこちら 桂林観光2(漓江下り、陽朔)はこちら 上海観光(豫園、新天地、外灘・浦東の夜景)はこちら |
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北京から飛行機で2時間の西安は唐代に長安と呼ばれた中国一の古都。今では世界的に有名な観光都市で、多くの歴史遺産や雄大な自然環境そして、伝統的な民族風情は私たちの目を引きつけてやみません。特に、長安時代には阿倍仲麻呂や空海(遣唐使)など日本人との関わりも多く、さらに、唐の玄宗皇帝と楊貴妃、僧玄奘などにちなむ史跡は訪れる者のロマンをかきたててくれます。なお、西安は陝西省の省都で人口は700万人を越え、工業も盛んになっています。 |
秦始皇帝陵から東へ1.5キロメートルのところに、世界八番目の不思議とも呼ばれる兵馬俑坑があります。世界を驚愕させたこの兵馬俑坑は1974年偶然、地元農民によって発見されたという。 整然と並ぶ兵馬俑は始皇帝自らの指示で存命中の紀元前221~210年の頃に造られ、最大規模の第1号坑には約6000体の陶俑陶馬と1万点の武器が出土しています。現在公開中の坑も今だに発掘作業を続けています。 |
兵馬俑坑博物館の入口 総合陳列館 |
陳列館内・・・1980年、秦陵の近くで発見された銅馬車・・・左は高車右は安車と呼ばれる |
第1号坑前広場 第1号坑入口へ |
第1号坑・・・6000体の陶俑陶馬俑は圧巻そして、兵や馬の表情や衣装は一つひとつ異なる |
坑は竪穴式に掘られ、兵隊俑の平均身長は1.8メートルで胴体は空洞という |
人馬の列 軍人前部 |
熱心に聞入るツアー仲間 後方からの撮影 |
1号坑の未発掘部分(左方) クリントン大統領と発見者 |
1974年3月、井戸掘り時に俑の破片を発見した一楊志発さん・・・本にサインをお願いしました |
第2号坑への入口・・・第2号坑は6000平方メートルの広さがあり、車輪跡も残されている |
任務(弓や馬車など)ごと4陣営に分かれていた 棚木の遺跡 |
<第2号坑には完全な形で発掘された兵馬俑をフロアに展示> |
ひざ射ち俑 中級の軍吏俑 |
高級な軍吏俑 立式の歩兵俑 |
騎兵俑 車窓から見る秦始皇帝陵・・・今後の発掘が楽しみ |
第3号坑・・・幹部たちの司令部と見られ最近発見された |
西安市の東約30キロメートル、驪山のふもとにある歴代皇帝が使用した有名な温泉池です。秦始皇帝も利用したと伝えられていますが何といっても747年、唐の玄宗皇帝が宮殿式の湯殿に改築して華清池と名づけ、楊貴妃との愛の舞台になった所として有名。また、近代史上では西安事件が起こりました。これは蒋介石が中国共産党を封じ込めようと東北部の軍閥、張学良を説得するためこの華清宮の五間庁に宿泊していました。ところが突然、張の部下に襲われ裏山に潜んだが捕らえられ西安市の西京招待所に幽閉されたという事件です。この事件をきっかけに中国政治の流れが大きく変わりました。 |
西門々碑 華清勝池の碑 |
艶めかしい楊貴妃像と敷地の中央に広がる美しい九龍湖 |
楊貴妃と写真、夢のようです 九曲回廊が右手 |
飛霜殿 宣春殿 |
御湯・・・風呂場の遺跡は1982年に発見 湖岸に生える大木 |
海棠湯・・・玄宗と楊貴妃の寝室そして、楊貴妃のために造られた海棠湯 |
玄宗の蓮華湯・・・大理石作り |
星辰湯(右建物)は唐の太宗李以降の皇帝お風呂・・・大きな風呂です |
尚食湯・・・皇帝に仕える人たちの風呂 毛沢東が長征したときの長恨歌 |
湧き出ている温泉 御湯遺跡 |
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