Dec. 10~17 '04 |
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スペインはまぶしい太陽と情熱の国で知られそして、フラメンコと闘牛を思い出します。政治的にはフランコ独裁政権時代が印象に残っていますが、なんといっても永い歴史に彩られた史跡や風景は魅力的で、この旅行を今かいまかと待ち望んでいました。現在、スペインの人口は4,000万人余りで面積は日本の1.3倍とか。日本からみてちょうど地球の裏側にあるスペインにはアムステルダム経由で都合15,6時間かけてようやく到着しました。そして、バルセロナからマドリッドまでイベリア半島を半周するツアーの中で多くの遺産や景色に接し、その歴史的スケールの大きさと文化の奥深さにただただ感嘆し圧倒されました。旅の疲れもどこえやら、こうしてスペインのページ作りにも力が入り今までにないスピードでアップロードすることができました。と書いて2日後、近親者が交通事故にあい命を落とすという痛ましい事態となり慟哭の一週間を過ごしました。よって、この旅行記は大変遅れることになったのです。 |
ラマンチャ(カンポ・デ・クリプターナ)地方 グラナダ市内・ミハス観光 セビリア市内観光 コルドバ市内観光 プラド美術館 トレド・セゴビア観光 |
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バルセロナは1992年のオリンピック開催国。 あの熱狂から10年が経過した 「芸術の街」はスペインで最も人気の高い観光都市です。人口は約150万人で中世を思わす古いヨーロッパ的な町並みと新市街地がほどよく融合する魅力的なこの町から観光がスタートしました。 |
サグラダ・ファミリアは1882年に貧しい人々の心の救いとなる教会として着工されました。 ガウディがこの教会の建設にたずさわったのは1883年からで以来、彼の心の支えとなる仕事としてこの教会の建設に生涯を捧げました。 なお、彼の計画していた3つのファサードと12本の塔のうち、完成していたのはわずかに 「生誕の門」のみで、 1926年に路面電車に跳ねられて不慮の死をとげてしまいました。 現在、工事開始から100年以上経っていますが、完成には100年後とも200年後ともいわれる未完成寺院です。 |
ガウディ唯一のファザード「生誕の門」と塔 |
正面右手の塔 自分の足で登りましたが筋肉痛です |
キリストの誕生をテ-マにした4本の塔 内部は現在も建築中 |
塔最上階から眺めるバルセロナ市街 |
「受難の門」の正面図 「受難の門」の側面図 |
スペインが生んだ20世紀の巨匠パブロ・ピカソの作品が多数収められているピカソ美術館は、バルセロナの旧市街地(リベラ地区のモンカダ通り)にあります。 さまざまなピカソの作品に接し絵画に疎い私にも天才ピカソの偉大さが伝わってきました。館内撮影禁止です。 |
ピカソ美術館内の中庭 |
モンカダ通りに面した入口 モンカダ通り |
グラシア通りにあるカサ・バトリョ(ガウディ作) コロンブスの塔・・・バルセロナのシンボル |
ジャウマ2世の命で13世紀末に建設が始められ完成は15世紀前半という。ここにはバルセロナの守護聖女サンタ・エウラリアの石棺が地下聖堂に安置されています。 |
壮麗なカタルーニャ・ゴシック建築 地下聖堂・・・礼拝中でした |
荘厳な柱と天井 |
バルセロナ市内を一望し早速、シャッターを切りました |
オリンピック・スタジアム 闘牛場 |
グエル公園はバルセロナ市内の小高い丘にあり、かつてはガウディがグエル伯爵と組んで庭園住宅を建設する目的でこの地を選んだという。広場の左右には散歩道がありモザイクタイルを使ったベンチや階段、ドーリア式の柱列など美しいハーモニーを奏でています。 |
グエル公園入口にあるパビリオン テラスの縁取り |
グエル公園の正面玄関 |
多色彩のドラゴンの噴水 多柱式広間 |
セラミックの円形浮彫りで飾られた天井 鍾乳石のように作られた散歩道 |
七宝のモザイクでデザインされたベンチで・・・後方の塔(建物)はガウディミュージアム |
公園入口の正面広場・・・ベンチはセラミックタイルの美しい装飾 |
公園からバルセロナ市内を見下ろす ガウディが一時住んだ家・・・今は博物館 |
公園に通じる柱廊 ランチはパスタパエリアです |
ラマンチャ(カンポ・デ・クリプターナ)地方 グラナダ市内・ミハス観光 セビリア市内観光 コルドバ市内観光 プラド美術館 トレド・セゴビア観光 |