花博・白川郷・飛騨高山へ
Sep. 24、25 '04

浜名湖花博
 2004年のしずおか国際園芸博覧会「パシフィックフローラ2004」は、国内で3回目に開催される国際園芸会です。この博覧会は国際的レベルで園芸生産者の共通の利益を図るため開かれるもので、初めての国際園芸博覧会は1960年オランダのロッテルダムで開催されました。きょうはあいにくの雨模様。でも、多くの人並みにはさまれて美しい場内を散策し国際庭園や盆栽展そして、モネの家・庭などの奥深い芸術に触れることができました。

花博ときめきゲート              会場内案内図    
 

ときめき広場

芭蕉の庭                 日本庭園
 

  美しい松と岩             いろどりクルーズ乗場
 

モネが晩年暮らしたフランス・ジヴェルニーの家と庭を再現

池に架かる橋             庭の花々                       
         

     昭和天皇自然館          園芸文化館前の見事な貝塚いぶき
 

 園芸文化館内の盆栽            接木して作る菊の盆栽
 

場内を走るフローラムーバー            浜名湖を望む            
 
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白川郷
 1995年ユネスコの第19回世界遺産委員会で「白川郷・五箇山の合掌造り集落」 が世界遺産として登録された。 昭和30年代高度経済成長の下で辺境の農山村のゆたかな自然環境が開発という名のもとに疲弊していきました。白川村も例外ではなく “加須良集落”の集団離村という出来事を機に合掌文化の保存運動が動き出しました。江戸時代の中後期以降の建造物群九棟が岐阜県重要文化財の指定を受けた後世界文化道産へと保存運動が展開され「野外博物館合掌造り民家園」として現在に至っているという。

「野外博物館合掌造り民家園」の正門
 

荒井良造家主家・・・受付

中野義盛家主家

 家の正面                 屋根裏の梁
 

  便所        土間        火鉢       マワリザシキ
   

山下陽朗家(左)と武田家板倉(中)マタダテ小屋(右)

   山下陽朗家主家・・・邑主の館       室内・・・18世紀(中頃)の築と云われる
 

村瀬家主家・・・陶芸の館              陶芸類              
 

浅野家主家・・・木工の館            機織と染色の館        
 

   信称寺本堂・・・催しの館      水織音の滝と中野義盛家(左)と小屋
 

中野長治郎家主家・・・こけら葺きの下屋          東屋荘松家板倉                    
 

庄川に架かるであい橋・・・秋葉神社方面を望む

であい橋と庄川
 
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飛騨高山
 奈良時代から続く伝統の町飛騨高山にようやく訪れました。長い時代に根づいた生活や文化がほどよく融合した町高山を散策し、いにしえの時を思い起こさせます。

高山市内の古い町並・・・飛騨民族考古館(左側)

小京都高山を昼食時、あわただしく散策しました
 

 

人力車で観光もおつなものです
 

   宮川の朝市              市内を流れる宮川  
 

高山陣屋
 徳川幕府は元禄5年(1692)飛騨を幕府直轄領とし、安永六年(1777)この飛騨代官役所を飛騨郡代に昇格させ明治維新にいたる176年間に25代の代官・郡代が江戸から派遣され行政・財政・警察などの政務を行ないました。この役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼びます。幕末、全国に60数カ所あったと言われている郡代・代官所の中で、 当時の建物が残っているのはこの高山陣屋だけで、昭和4年に国史跡に指定されました。

中橋から陣屋方面を写す            高山陣屋の鳥瞰図    
 

高山陣屋の御門

正面玄関・・・左端は仮牢

    梅の老木              陣屋内のレイアウト
 

玄関の間・・青海波の壁              御役所            
 

   御用場               役宅 座敷の掛軸
 

 台所                   土間
 

    大広間・・・会議などが行なわれた        吟味所・御白洲・・・刑事関係の取調べを行なう
 

     御蔵の回廊            御蔵には年貢米が収蔵された
 

この地方にあった「大原騒動」を説明
 
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