アユタヤ郊外観光
June 4~9 '04
 アユタヤは1350年に王朝が開かれて以来、417年間に渡って王都として繁栄し最盛期にはアジア有数の日本人町も形成されました。1767年、ビルマ軍の侵攻にあって街は壊滅し、今では破壊された多くの遺跡群が私たち観光客を待っていました。        
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バンパイン宮殿
 プラサート・トーン王が1637年、チャオプラヤ川に浮かぶバンパイン島に建てた宮殿。宮殿は1767年アユタヤの陥落で破壊されたがその後、19世紀になってラマ4世が再建に着手し再び王族の夏の離宮としてまた、各国の要人をもてなす迎賓館として使用されるようになりました。

池の中央に浮かぶタイ式建築のプラ・ティナン・アイサワン・ティパヤ

ポルトガル様式の天文台               年輪を重ねる菩提樹    
 

 個性豊かなヨーロッパ風建物           明天殿・・・中国風建物(撮影禁止)
 

象の形に剪定された植木

宮殿入り口       広い宮殿をカートで散策       鳥瞰図       
  

日本人町跡
 16~17世紀、アユタヤのチャオプラヤ川には沢山の貿易船が行きかいとても賑やかだったという。このころ朱印船貿易に携わった日本人が住んでいたのがこの地で、中でも山田長政の名は有名でした。ソンタム王に重用され貴族の最高位まで登りましたが、王が亡くなると王位継承に巻き込まれ何者かによって毒殺され、40歳で波乱の生涯を終えました。 そんな昔、日本人が住みタイ人とともに政治、経済面で活動していたなんて・・・感慨深いものがあります。

    入り口看板               「アユチヤ日本人町の跡」の碑
    

   住居模型                  日本人村のレイアウト
    

当地で発掘された遺品                 朱印船の模型      
 

何を売っているのでしょう?タイの老婆         ゆったり流れるチャオプラヤ川        
 
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